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観念奔逸的写真総論
 
 
その1

「使い物になるのか?」と思われたデジタルカメラも、さすがに半年にも満たないサイクルでのモデルチェンジでグングン良くなって、300万ピクセルでさえ手の届く価格になってきた。
まだまだ、銀塩カメラ(わざわざこう書かないといけないって、不自由な時代ですね!?)のレベルには及ばないにしても、環境にも優しいのだからどっか我慢しなきゃあね。でも、1000万画素オーバーも時間の問題でしょ。
デジタル登場以前でも悩んだカメラ選びは、家電メーカー等々の参入もありさらに複雑なことになり、目的を明確にしないとお金をドブに捨てることになる可能性は増々高い。おまけに、「旧型」であるだけに止まらず、すぐに「旧式」になってしまうのだから、なお始末が悪い。
不景気の折り、慎重にならない人は少ないとは思うけれども…。
いずれにせよ、カメラもコンピュータもインターネットも日進月歩の技術の最先端なのだから、使う側の感性や能力を問われる度合いも、同じように急増しているということを肝に命じておきたい。パブリックでもプライベートでも歯車になるのはもう避けたいですもんネ。
高級一眼レフタイプでレンズ交換もできるメガピクセル機も、今年中には各社から出揃いそう。個人的にはやはりカメラメーカーさんの製品でないと信用できないので、キヤノンさん、ニコンさん、ペンタックスさん、ミノルタさん、オリンパスさん、…、頑張って下さいね。
<見る、ということ> 所謂カメラ=写真術というものが発明されて160年余、御存知のように最初は絵画の代用品としてもてはやされたようだ。それまでは「実物」を肉眼で見るか絵画で見るかであった。時間的、経済的、あるいは好奇心から画家が写真を利用することもしばしばで、ドガなどはカメラ的視覚を絵画に採り入れるようになる。
うつろう現実の瞬間瞬間を正確に、且つ瞬時に切り取れる写真、所謂カメラ的パースペクティヴ等々、「見る」ことのプロフェッショナルであった当時の画家達が大きなショックを受けたことは周知の事実である。同時に、写真の登場が絵画の流れを大きく変えてしまったことも確かであろう。
コンピュータ・グラフィクスの登場で写真家達が受けたショックや喜び・楽しみ、広げられた表現の可能性といった最近の状況は、「歴史は繰り返す」を実証するようである。160年前の画家達がそうであったように、この2~3年の写真家やグラフィック・デザイナーという人々も、新技術に飛びつく者と拒否する者、可能性を見た者と危機感を持った者とに分かれた。
二度目の繰り返しが「茶番」にならない様に、とは、願望であると同時に戒めでもある。
そして、言うまでもなく私は飛びつき喜んだ側だ。
1990年代初頭、価格的に外車かMacか?という選択肢が成り立った時代である。
カラー写真を手許で自在に処理するなんて、夢のまた夢であったし、Mac以上のコンピュータなんて“フェラーリ”と“ポルシェ”が同時に買えるほどもしたのだから………MacとPhotoshopの存在を知った時は、ベルリンの壁の崩壊と同じくらい驚いたものだ。
それが、あれよあれよという間に処理速度は倍々々になり、価格は半々々になり、PowerMacからG3へ、さらにこんなことを書いている間にヴェロシティなんちゃら搭載のG4まで登場した。コスト対パフォーマンスはきっと、とんでもなグラフになるのだろう。
7年半使ったQuadra950は97年12月にメインMacの座を退き、現在のメインはパワーMacintosh9600/350から、あっという間にG4へ。
これは何とQuadraに比べるとフォトショップ処理速度は数10倍以上で、数十分かかっていた処理が数十秒で出来てしまい、最初のうちは何か追い立てられているような気さえしていたものである。
本題に戻そう。
「見る」ため、あるいは「残す」ために写真は撮られるわけであるが、機械のフレームで現実をトリミングするということはかえって撮影者が見えていなかったり、思ってもいなかったことが写ってしまうという事態を惹き起こす。これはまた逆に、見てなくても思ってなくても容赦なく写真は出来上がってしまうということを意味するわけで、これが写真ならではの凄いところ、醍醐味であると同時に大きなウィークポイントにもなっているように思う。
「見る」ことと「思う」ことを除けば「シャッターボタンを押す」ことしか写真には許されていない。そこで、「機械」たちが加速度的に進化している中で、あらためて「見る」ということにこだわってみたいと思う。
私は、人間の五感の中で「視覚」が最も優れたものだと思っている。
理由は簡単で、「眼」にだけは「蓋」が付いている、ということだ。見たくないときには頑張って目蓋を閉じるのである。でなければ、見えてしまうのだ。だが、実はこの見えてしまう、ということが癖物であって、我々は「すべてが見えている」と思い込んでいるようだ。実のところ、ここに大きな落し穴が開いている。
通常我々が見ているのは「全て」ではなく、「見たい物」或は「見たくない物」のどちらかであって、部分部分でしか見えてはいない、ということをきちんと理解しておく必要がある。このことは写真を撮るときに限らず、日常生活についても言えることだ。まして写真を撮るときとなると、なお一層の努力と注意が必要だ。
まえに言ったとおり、「見ること」しか写真には残っていないのだから。写真にとっての九割以上が「見ること」であると言っても決して言い過ぎではないだろう。
思ったような写真が撮れないのは、実はここに最大の理由があると思う。何となれば、カメラは「全て」を見ているのだから―レンズやフィルムの限界があるにせよ。
木村伊兵衛が凄いのは写真家自らがカメラになりきっていたからだ。カメラが身体の一部、或は、眼の延長になるどころか、身体がカメラになってしまっていたのだ。まあ、凡人はなかなかそこまで到達できないのであるが…。
が、少なくともカメラという物は「眼」の延長である。
我々はおおむね、もっとよく「見る」ためにカメラという機械を持つのである――記念写真というのは少し違うところもあるかも知れないが。
写真というのは、基本的には我々の「見たい」という欲求を満たすための手段である。だから、この「見たい」という欲求を満たしてくれない写真は「つまらない写真」なのであり、「撮る人」が「見ること」を怠った結果である。「撮る人」がきちんと「見て」くれた写真はよい写真である、と断言してしまおう。
レンズがどうとかカメラがこうとか、フィルムがああだのモデルがどうだのなどというのは本末転倒、枝葉であって、幹をなすのは「撮る人」がいかに「見た」か、という行為そのものだと思う。
とはいっても、撮影現場では機材に助けられることもあればモデルに助けられることもあるし、デザイナーさんにも助けてもらえる。
が、「運」まで入れてそれも実力である…。
などと怠けないように頑張らなくっちゃ。

その2

20世紀が終わる3日前に、待ちに待ったキャノン製300万画素デジタル1眼レフ、Eos-D30を入手。軽いわりにはグリップ部分がEos1より大きくて少し驚いた。
操作系はEos1とほぼ同じ、カメラ操作自体には戸惑いはない。が、ワークフローはまるで変わってしまうのだろう。とりあえずは、テスト撮影用。今までの、いかにも環境にも人体にも悪そうな、ポラロイドとかフォトラマを使わずに、少々重く、更に荷物は増えることになるが、Powerbookを持てば、より厳密な「テスト」ができそう。
9年前、Quadra950にフォトショップを入れて、デスクトップ・ダークルームが実現した時から、「デジタルは手間がかかる」と、「デジタルは限界を超える」の間を行ったり来たりしてきた。
それが今度は、いよいよフィルムレスとなる。
評判の“RAW”モードで撮影したデータを1カットずつ、自分の手で処理しなければ“現像”済画像は手に入らない。まるで、昔やっていたモノクロ現像やプリント作業のような「自分でする行程」が必須。ラボに渡して、チーン、とはいかなくなる。スキャニングの手間を省くか、“現像・プリント”の手間をかけるか?
究極の選択に近いな、これは。
でも、なんだか楽しいぞ。
デジタルカメラはフィルムを使わない、ということは、実はどこにも“実体”がない、ということである。“原板”、“オリジナル”はどこへ行った。
160年前、ダゲールやタルボットが「カメラ・オブスキュラ」を「発見」してまもなく、乾板やフィルムや印画紙が創りだされて以来の「革命」である。
“オリジナル”は作者のモニタの上にしかない。まるで、「カメラ・オブスキュラ」の中に映しだされた映像を、印画紙やその他の媒体に定着する手段がなかった時代への逆戻りにも思える。「原点回帰」である。
「平面の地球」から「球体の地球」へと認識が変わった時、天皇が神であることを止めた時、あらゆる発想が再考を促されたように、“オリジナル”の威厳をはぎ取られた写真は、「写真術」勃興時代と同じような発想の転換を迫られている、ようだ。ヴァルター・ベンヤミンいうところの
「アウラ」は、一体どこからどこへ行ってしまうのだろう。
「グーテンベルク」に並び称される今回の「IT革命」は、政財界が考えるような薄っぺらな技術や経済効果の問題ではなく、私達の意識を根源から打ち壊すほどの、誇張でも事大主義でもなく、まさに「革命」と呼ぶべきものではないだろうか。マルクスがヘーゲルを転倒したように、我々はこの160年を転倒する時期にさしかかっているのかも知れない。

その3

Canon EOS D30が発売されたのは、2000年の暮れ。
これを契機にしばらく停滞気味だったプロ用、或いは、高級デジタルカメラにもやっと新しい動きが出た。以降、ニコン、キャノン、フジ、シグマから次々と手が届きそうな価格の一眼レフ・デジカメが、また、まだまだ高価ではあるが、キャノン、京セラ、コダックからは従来の4分の1の価格で35mmフルサイズのデジカメも発売された。先日のPMAのレポートなどを見ても、デジタル一色と言ってもよいほどだ。
仕事用撮影もいよいよデジタル化本番である。
前にも書いた通り、私は2000年末にEOS D30を入手したが、そのちょうど1年後にEOS1Dが発売になり、広角の画角ほしさにまたもや購入。さらに昨年末、ついに35mmフルサイズのEOS1Dsが発売された。さすがに、もう着いて行けません。が、この3月(今日でしょうか?)、EOS10Dが発売される。
低価格にもかかわらず、金属製のボディをもつこのカメラは、D30やD60と比べると、ちょっと触れただけでも安心感がある。1Dには広角系、10Dには望遠系のレンズを着けておけば、すごく合理的かつ経済的だ。
D30のボディには、常に不安感というか不信感というか、があった。
以前、キャノンのA1というカメラを落とした時、裏蓋付近が割れたことがある。その頃メインで使っていたF1は、巻上げレバー付近が凹んだにもかかわらず、クルマのボディのように「板金処理」で叩き出され、元どおりに使えるようになった。
以後、金属ボディというだけで「信頼」を寄せるようになりました。

以下の文章は、1999年5月以前に書いたものですが、デジタル時代だからこそ、なおさら押さえておきたい部分であると考え、今さらながら掲載します(^_^)
そして勿論、この続きも書きたいのですが…。

自然の鉛筆

写真術の発明者の一人にタルボットという人がいる。ダゲレオタイプのダゲールやニエプスほど日本では知られていないようだが、実は現在の「ネガ‐ポジ法」の生みの親であり、「複製技術」としての写真を発明した人物である。
 ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットはイギリスの科学者、新発明の発表がダゲールよりほんのちょっと遅れてしまったためダゲールの方が圧倒的に有名になってしまっているが、あと一月早ければ、写真の発明者はタルボットただひとりだけが歴史に名を残すことになったであろう。しかし彼は写真芸術家としても充分に通用するところがあるようだ。彼の著書には「自然の鉛筆(The Pencil of Nature)」という写真集が残っており、それは1844年から46年にかけて刊行されたのだが、タイトルから分かるように、日本での東松照明の登場を待つまでもなく、写真は最初から鉛筆だったのである。タルボットが理解するところによれば本来的に、写真はペンや絵筆と同じような筆記用具であり、新しい表現手段であり、芸術であった。それも、人間の視力の限界を超えることのできる新技術であった。絵画より精密に、言葉よりも具体的に。「かつて用いられたどのようなものとも一切似たところのない全く新しい操作をともなう極めて独自な芸術」(タルボット自身による)なのである。
 写真の登場により美術史の流れは大きく変えられ、所謂ジャーナリズムにも多大な影響を与えた。ドラクロワ派とアングル派の対立は有名であるし、国家によって写真を取り締まれ、などという恐ろしい話にまでなっている。1857年、かのボードレールは「写真は科学や諸芸術に奉仕するという本来の義務に、復帰せねばならぬ」と、述べている。写真について考えるにあたり、19世紀半ばの美術史を調べるのはとても有効な資料になるに違いない。発明されて10年そこそこで、多くの、大きな問題を生み出しながら、写真は物凄い速度で進化、普及していったのである。
 現在、コンピュータの普及とデジタル・カメラの登場によって写真に大きな変化が起こっている。“IT革命”の号令とともに、この数年のデジタル化は凄まじいばかりの速度である。
 かつてのような論争は起きてはいないが、デジタル・カメラの普及の勢いは、しばらく止まりそうもないし、安価であることや小型であること、さらには携帯電話への搭載など、写真の底辺人口は確実に広がっていると言えるだろう。
 ひょっとすると私達はとても面白い時代を生きているのかも知れない。去年から今年、今年から来年、ブロードバンドの普及とともに、いったいどういう変化が起こるのか、とても楽しみだ。
 さて、ヴァルター・ベンヤミンは、「写真小史」と言う1931年の小論の冒頭で、「最近の文献は、写真の最盛期は、その最初の10年間だったという、驚くべき事実をあきらかにしている」と書いているが、クリミヤ戦争にはすでに従軍カメラマンが同行しているのである。ということは、すでにこの時に「動き」を写し止める力が写真に与えられていたということになる。15年ほど前、私がスポーツ写真を撮っていたころ、「止まるカメラをお持ちですか」と尋ねられることがしばしばあったが、そんな物は100年以上も前から在ったのである。カメラの進歩が速すぎたのか、メーカーの取扱説明書が不親切なのか、それとも多くのHOW TO本には抜け落ちているのか、一体どこに責任があるのだろう。
それにしても、最近のカメラのもつシャッター速度はすごい。映画でも写真でも、昔から何度も見たことがある映像なのだが、ミルククラウンや林檎を撃ち抜く弾丸の映像はいつ見ても驚きである。数年前までは「特撮」の世界だったのだが、今やごく普通のカメラで「特撮」が出来るようになっている。うかうかしていると、プロカメラマンはメカニズムに追い越されてしまう時代になっている。技術がプロの証になった時代はとっくに終っているのだ。写真の登場により絵画の方法が変えられたように、小型で高性能なデジタル・カメラやパソコンの普及により写真の有り方も変化を迫られているのだ。とっとと頭を切り変えて、技術偏重から感性―ソフト重視へシフトしておかないとひどい目に合うだろう。「こんなことが出来る!」が自慢にならない時はすぐそこまで来ている。
 160年前に「自然の鉛筆」として登場した写真術は、鉛筆どころか心眼と言ってもよい力を我々に与えてくれたのだから、よく見て、しっかり表現しなくては…。